日本天文学会について

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会長挨拶

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井田 茂(東京工業大学) 2023年6月

日本天文学会会長 井田 茂(東京工業大学)

このたび、「日本天文学会」第52代の会長に就任いたしました。なぜか、2期目の「生命の起原および進化学会」の副会長にも就任しました。19世紀から20世紀初頭までは(つまり火星運河スキャンダルまでは)太陽系の各天体に住んでいるかもしれない生命を議論することは天文学における重要課題のひとつだったようだし、1995年に系外惑星が発見され、とりわけ2010年代以降に次々とハビタブルゾーンにあるスーパーアース/アースが発見され、さらには2005年に土星の衛星のエンケラドスの噴水が発見されたことで、アストロバイオロジーが急激に復興しているので、天文学と生命科学の接近は当然とも言えて、私のようなケースもおこるのかなと思う。

ところが、米国ではアストロバイオロジーの振興に大きな障害になっているのが、天文学者と惑星科学者の乖離だと、NASAヘッドクォーターのディレクターで東京工業大学ELSIのPI でもあるMary Voytekから聞いた。生命科学の前に惑星科学が天文学から乖離しているのだ。欧州でも同じような状況にあることを何人もの研究者から聞いた。私は日本惑星科学会の会長を務めたこともあるが、日本においては天文学会と惑星科学会の両方に所属する会員も多く、乖離があるとは思えない。生命の起源研究が生命科学の本流からはずれていることに起因する障害はあるが、日本での天文学と生命科学との壁は欧米でのものに比べたらずいぶん低いようだ。この天文学の懐の深さは日本の特長だと思う。

天文学がカバーする範囲はとても広い。天文学と惑星科学/生命科学のオーバーラップはそのひとつの例であり、私の個人的な興味の変遷を反映したものだ。私事で恐縮だが、振り返らせていただきたい。大学での進路を決めかねていた高校生だった私に強烈なインパクトを与えたのが、授業を抜けて銀座の映画館に一人で見に行った「2001年宇宙の旅」と小松左京氏のSF小説「果てしなき流れの果てに」だった。後者のWikipedia( https://ja.wikipedia.org/wiki/果しなき流れの果に)の紹介文の一部を引用すると、「中生代の地層から、なぜか砂時計が発見された。しかも、この砂時計、無限に砂が流れ続ける代物だった。理論物理学研究所の助手野々村浩三は番匠谷教授らと共に砂時計の見つかった葛城山麓の古墳へ向かう... それは時空を超えた物語の始まりに過ぎなかった」。自分も時空を超えた物語の探索の旅に出たいと強く思った。

まずは、当時勃興していた素粒子論的宇宙論に夢中になり、京都大学理学部に進学したが、大学院の素粒子論的宇宙論の研究室には合格できず、浪人を経て紆余曲折の末に東京大学大学院・地球物理学専攻に流れ着いた。地球物理学では、足元や身の回りの自然現象から莫大なデータのもとに深掘りし、背後にある法則性の追求は机上の空論とみなされる傾向すらあり、理論物理学から転向してきた私はカルチャーショックを受けた。だが、この地球物理学への転向がその後にアストロバイオロジーや生命の起源論にも流れ着く刺激的な旅への展開点になった。

その後、東京大学教養学部でGRAPEプロジェクトに関わった後に、東京工業大学に新設された地球惑星科学科に異動して、1995年9月中旬から1年半のサバティカルをとって、まずはカリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)に向かった。

渡米直後の10 月初旬、突然、系外惑星(ホット・ジュピター)発見の話が飛び込んできた。爆発的とも言える観測ラッシュによってゴールドラッシュのような興奮の時代が突如始まった。UCSCのリック天文台は系外惑星観測のメッカのひとつになったこともあって、理論研究者の私もその奔流に押し流され、系外惑星系研究に飛び込むことになった。驚いたのは、米国では、ホット・ジュピター発見から1年も経たないうちに系外の地球型惑星が熱く語られ、アストロ・バイオロジー、バイオ・アストロノミーという言葉が飛び交っていたことだ。封印されていた地球外生命の学術的な議論が一気に炸裂したという感じだった。

1996年の「火星隕石の生命の痕跡か」の発表は当時のクリントン大統領が同席して行われ、1998年にはNASAのアストロバイオロジー研究所が発足し、2005年にはエンケラドスの噴水が発見された。その流れの中、私も意図せずに「生命」に近づくことになった。2009年には、東京工業大学・東京大学のGCOEプログラムの「地球から地球たちへ」が始まり、無理やりだが、系外の地球型惑星の生命居住可能性をテーマにした。ゲノム解析の進展を受けて極限環境微生物のゲノム解析も入れた。同年、海部宣男さん主導で「宇宙生命に関する研究会」、「惑星科学と生命科学の融合研究会」と題する6年間のシリーズの研究会が始まった。毎回、天文学、惑星科学、地質学、生化学、生物学などの研究者10~20名が合宿して、非常に濃密な議論が重ねられ、知識だけではなく、各分野の現在進行形の空気感まで知ることができた。

2012年に採択されたWPIプログラムの東工大「地球生命研究所(ELSI)」では、GCOEの継続的発展ということで、無理やり「地球と生命の起源、宇宙における生命」をテーマにした。生命の起源研究は生命科学では依然として異端で、各分野の在籍メンバーで集まって初歩から生命の起源の勉強会が始まった。みな素人だったので若手研究員も教授も関係なかった。暗中模索だったが、勉強会は刺激的だった。ただし、論文を書ける研究にもっていくには、自分だからこその武器と異分野参入だからこその切り口が必要で、私の場合の方向性(宇宙での複雑有機物生成シミュレーション)が見えてきたのは、ELSIが始まって7‒8年もたってからのことだったが。

自分はここまで、時々の流れに流されるままに、目の前に現れた面白そうなことを追って、宇宙論から地球物理学、太陽系、系外惑星を経て、アストロバイオロジーや生命の起源論にも出会うこともできた。高校時代の自分が求めた「時空を超えた物語の探索の旅」という仰々しいものではないけれど、日本の天文学コミュニティの懐の大きさのおかげで、そこそこ楽しい旅になった気がする。天文学の糊しろのような部分を巡ってきた私が、日本天文学会で何か役に立つのかはわからないが、若い人たちの邪魔にならないように2年の会長の任期を務めることができればと思う。