【表紙画像説明】
写真は京都大学天体核研究室の1962年春のハイキングの時のもので,場所は山科の醍醐寺境内,右の林忠四郎教授は42歳,その左の佐藤文隆はD1の大学院生である.春,秋,恒例のハイキングでは,林は平日の服装,平日の弁当を抱えて参加するのが通例だった.1961年のハヤシ・フェーズ発表とHHS (Hayashi・Hoshi・Sugimoto)大論文(1962年2月刊行)の完成で自信を得た林がそれまでの核融合の「天の部」と「地の部」という研究室の二本柱を「天の部」一本に転換させ始めた頃である.
(シリーズ:天文学者たちの昭和 佐藤文隆氏ロングインタビューより)
【今月の表紙デザイン】
「流星」
流星に通信が遮られているうちに,探査機内のディスクが無くなっていた.「うさぎ」たちは落としたディスクを回収するために,新しい機械を作らなくてはならない.
急ぎの仕事で,星の嵐よりもせわしない.
表紙製作 ミナミ シズホ